法則1 重要性に応じて、起こりやすさが高まる
ものごとは、それがより大きなつながりにとって大切で意味を持つほど、起こりやすくなります。
これは、そわかが世界を読むときの、いちばん上の拠りどころです。そわかの立場の原理であり、読むときには、次のことを守ります。
- 「起こりやすくなる」のであって、保証ではありません。「必ず起きる」「すべては必然」とは読みません。
- 念の強さや、本人の徳で、起こりやすさが決まるという話ではありません。
- どの単位(本人・関係・家系・事業)にとっての意味かを決めて読みます。複数の単位の重みがどう合わさるかは、決めていません。
- 個別の人や出来事に、数値として当てはめません。
- その人がそれに値するか(応報や序列)は、含まれていません。
- 離れた所へ力や情報を送るという話ではなく、起こりやすさの偏りの話です。
- 「大きなつながりにとっての意味」は、欲しさや恐れの強さとは別のものです。
- 起きなかった結果を「意味が小さかったから」と読むことはしません。結果を方向づける要因は、ほかにもあるからです。
法則2 注意を向けることは先へ向かい、起きた事実は変わらない
注意を向けることは、これから起きることへ向かいます。すでに起きた出来事そのものは、変わりません。
注意やフォーカスを向けることや、目的を定めることは、これから起きることへ向かいます。一方で、すでに起きた出来事そのものは、変わりません。変わるのは、その出来事の意味づけと、これからの効き方です。
意味づけの更新は、本人の言葉から始まります。周りの人が先回りして意味を与えることはしません。「気づいたら過去が消える」「過去が波に戻る」といった言い方も、しません。
起きたことを、良い・悪いの物差しだけで裁かず、それをどう意味づけ、次にどう動くかに目を向けます。その意味づけを選ぶのは本人です。身の危険や被害に関わる出来事を、受け止め方の問題として扱うことはしません。
法則3 整えるとは、足すことではなく戻すこと
整えるとは、何かを足すことではなく、もともと在った働きを覆っていたものを外して、戻すことです。
何かを新しく身につけるのではなく、もともと在った働きを覆っていたものを外していく。そわかは、これを整えることの基本の向きと考えます。
同じ一つの目的に向かう、もう一つの道が、望む状態を先に置くことです。結果の像や経路は握らず、どう在りたいかという在り方の質感を先に置きます。覆いを外すことと、望む状態を先に置くことは、対立せず、一体の方法です。
法則4 個と全体は対立しない
個と全体は、対立しません。「わたし」の中に、より大きなつながりの一面があります。
自我の計算——よく見られたいか、失敗を恐れているか、損得を気にしているか——をひとつずつ手放していく先に、「わたし」の中に、より大きなつながりの一面があります。
わたしたちの変容は、自分の内側だけでなく、より大きなつながりへの貢献としても働きます。
そのつながりは、特別な時間にだけあるのではありません。すでにあるものに気づいて湧き出る感謝や、日々の小さな行い、自然への小さな貢献の中に現れます。
つながりの一面であることは、一人ひとりが背負う責任の範囲を広げるものではありません。全体で起きていることを、誰か一人の心の持ち方のせいにはしません。変わっていく主語は、いつもその人自身です。
法則5 自然は、全体として無理の少ない道筋をとる
自然は、起こりうるいくつもの道筋のうち、全体として最も無理の少ない道筋をとります。
一つひとつの部分だけを見るのではなく、全体の配置として、ものごとがどう落ち着くかを見る。そわかは、この原理をそのように読みます。
第4章の原理8(力まず、無理のない道が、本来の動きを出しやすくする)は、人の在り方についての、別の原理です。この法則から原理8を導くことも、原理8でこの法則を確かめることも、しません。
- 「無理の少ない」は、努力や苦労が少ないことでも、楽な道を選ぶべきだということでもありません。
- 起きたことを「最も無理の少ない道筋だったのだから、そうなるべくしてなった」と読み、本人の責任にすることはしません。
- 個別の人の、これからの道筋を言い当てるためには使いません。
- どの道筋が全体として無理が少ないかを、外から決めて本人に渡すことはしません。
法則6 変容は、条件が整うことで起きる
変容は、誰かが起こすものではなく、起きやすい条件が整うことで起きます。
変化を起こす力は、もともと本人の中にあります。変わるきっかけはいくつもあり、どのきっかけから入っても、意味が体験として立ち上がる瞬間が訪れることがあります。
入口は一つではなく、きっかけだけで足りるわけでもありません。反復と身体の土台が重なり、蓄積があるところで一気に転じることがあります。変化がまだ見えないことを、反復や準備が足りないせいだと、本人の側に帰すことはしません。変わっていく主語は、いつもその人自身で、まわりにできるのは、条件を整えて待つことです。人の中で何が起きているかは、第3章に書いています。
法則7 上達は、上がっていく階段ではなく、巡る輪として起きる
人が上達し、習熟していく変化は、一段ずつ上がっていく階段ではなく、巡りながら続いていく輪として起きます。
気づく、整える、身につける、そして変容へ。この巡りは、どこからでも入れ、行き来しながら続きます。変容は、たどり着いて終わる一点ではなく、この輪が巡り続けることそのものです。向かう先も、巡るうちに更新されていきます。
同じところに戻ってきたように見えるときも、後戻りや失敗とは読みません。巡りの途中です。人を、いまどこにいるかで上下に並べることもしません。
起きたことの受けとめ方
起きたことを、波動の高い・低いで良し悪しに分けず、どう捉えてどう行動するかを大事にする、という見方があります。物理学などで確かめられたことではありません。
この法則を使うときに守ること
- 原理を一般の命題として語ることと、特定の人の特定の結果を断定することは、別のことです。個人の結果・変化・効能を、これらの法則を根拠に断定しません。
- うまくいかなかったこと、起きなかった結果を、本人の側の条件——意味や志の小ささ、執着、力み、抵抗、雑念、心境、純度、感謝、信念、意図、周波数、準備——の不足や過剰で説明しません。ここに挙げた周波数という言葉は、物理学などで確かめられたことではありません。
- ある結果が起きなかったことは、本人の欠陥を意味しません。
- 法則どうしを組み合わせて、特定の人のこれからを言い当てることはしません。