第3章 人間の変容の仕組み

人が変わるとき、何が起きているのか。この章の前半は、そわかの見方を、できるだけ日常の言葉で書いたものです。ここに書くのは、そわかの立場であり、科学で証明された事実として述べるものではありません。あとに、体や脳について確かめられている事実を、別の節として置いています。

頬杖をついてノート PC の前で考える女性のイラスト。 画像の中の文:今の自分はどんな状態なんだろう?/気になるテーマについて今の状況を知りたい

変容は、起こすものではなく、起きるもの

変容は、誰かが起こすものではありません。起きやすい条件が整うことで、起きるものです。変化の主語は、いつも本人です。

オペレーターも、機材も、データも、AI も、本人が本来の働きで動ける条件を整える足場です。足場は、本人に力がつくにつれて減らしていきます。足場があることに依存が生まれないよう、主導権は少しずつ本人へ渡します。

同じところで止まるとき——三つの働き

分かっているのに変われず、同じ場面に戻ってしまう。そのとき、人の内側では、次の三つの働きが重なっていることがあります。どれも、本人が「選んでいる」つもりのないところで動いています。

何が目に入るか
同じ場にいても、人によって、目に入るもの、耳に残るものは違います。その選び方を決めているフィルターです。
それをどう読むか
拾ったものを、どの意味の枠で受け取るか。同じ出来事を、期待と聞くか、叱責と聞くか。悩みが直接かかわる場の一つは、ここにあります。
自分を何者として動くか
「自分はこういう人間だ」という定義です。その枠に入らない体験や選択は、そもそも候補として浮かびません。

同じテーマが、この三つにまたがって現れることがあります。そこは、変わる入口の一つになりやすい場所です。ただし、唯一の入口でも、必ず最初に扱う起点でもありません。

これらを、敵として戦う相手にはしません。覆いとして、ただ見えてくるものとして扱います。覆いの形には、同じ反応や解釈から離れられなくなること(固着)、自分を思考・感情・役割そのものだと感じること(同一化)、前提を落とした自動反応が、合わない場面でも起動すること(短絡化)があります。

次の一歩を、どの層から選ぶか——四つの層の地図

次の一歩を考えるとき、いまの自分がどの層から始めると合いそうかを、大まかにつかむための地図があります。診断のための枠組みではありません。うまくいかない理由を本人の側に求めるためのものでもありません。

層内容入口になる動きの例
深層意識・直感の層深いところでの受け取り、直感、受け取る働きそのもの強い感情を閉じ込めずに見送る/止まった時間を、眠りと区別する
表層意識・構想の層方向、在り方の質感、イメージどう在りたいかを先に置く/在り方の質感を先取りする
信号・媒介の層抵抗の少なさ、伝える力の純度力みすぎず、投げやりにもならない場所を探す/自我の計算に名前をつけて手放す
具現化・実際の動きの層実際の行動、目に見える結果30日の小さな育て方/すでに在るものの棚卸し

入口は、いくつもある

変わるきっかけは、ひとつではありません。

  • 自分が、その枠の中にいたと気づくこと
  • 目的や意図を持つ、その刹那
  • 安全だという感覚が戻ること
  • 身体、言葉、環境から入ること
  • ゆだねること

入口は違っても、意味が体験として立ち上がる刹那があるという型は、共通しています。そして、きっかけは必要な条件の一つであって、それだけで十分な条件ではありません。定着には、反復と、身体の土台と、新しい設定の準備が要ります。蓄積が、あるところで一気に転じることもあります。

目的を持てなかった時期、持つのが遅かった時期を、無意味だったとは考えません。目的を持つ刹那に、それまでの経験の意味が立ち上がり、その刹那へ至れたこと自体が、それまでの時間があったからこそ起きたからです。

続けるうちに起きること

新しい動きは、最初は、意識してもうまくいかないものです。続けるうちに、意識すればできる時期が来ることがあります。そのさらに先に、意識という覆いが外れて、もともと備わっていた動きが、そのまま出てくる方向があります。新しい力を獲得していくのではなく、覆いが外れて、本来の動きが出てくるということです。

見方を選び直す、気持ちを手放す、といったことは、その出来事の最中や直後にできなくても構いません。あとから、数分後、数時間後、数日たってから、振り返って選び直しても、構いません。できなかった日は、失敗の記録ではありません。

願いが浮かばない、やる気が出ない時期も、後退とは読みません。動機の土台が入れ替わる途中として扱うこともあります。ただし、気分の落ち込みやつらさが続くときや、眠れない、食べられないなど、体調に強い変化が続くときは、体と医療を先にします。第7章「つらいときは」にも書いています。

感謝・祈り・奉仕・自然への貢献

変容は、自分の内側だけで起きるのではなく、つながりの中へ開いていくものでもあります。そわかが大事にしている考えを、次のように言い表します。

  • 才能には、もとから在ったものを見出す働きと、それが現れやすい条件を整え続ける働きの、二つがあります。
  • 祈りとは、何かを求めてつくるものではなく、すでにあるものに気づいたときに湧き出るものです。
  • 祈りは、特別な時間にだけあるのではなく、日々の小さな行いの中にあります。
  • わたしたちの変容は、自分の内側だけでなく、より大きなつながりへの貢献としても働きます。
  • 自我の計算をひとつずつ手放していく先に、「わたし」の中に、より大きなつながりの一面があります。

自我の計算に名前をつけて手放すときも、見つかった気持ちを、ラベルで自分を裁く材料にはしません。正体が見えること自体が大切で、どうするかを選ぶのは本人です。

同じ人の中にも、条件によって違う働きが現れる

同じ人の中にも、置かれた条件によって、現れる面は変わります。だからそわかは、「この人はこういう人」と決めるのではなく、「いま、その働きが現れやすい条件は何か」を問います。

見え方と、意味づけ

同じ物や出来事でも、何を当たり前の基準にしているかによって、見え方や感じ方は変わります。つらい、足りないと感じるとき、その感じ方のもとにある基準に目を向けると、出来事そのものと、それを測っている物差しを、分けて見られることがあります。いま、すでに「あるもの」に目を向けることも、その一つです。被害や身の安全に関わることには、当てはめません。

起きた出来事そのものは変わりませんが、それをどう意味づけるかは、本人が選び直せます。選び直すのは、出来事の最中でなくても構いません。被害を受けた体験にまで当てはめる話ではありません。

考えが堂々巡りしていると感じるときは、考えに飲み込まれず、考えを眺める位置に立つことができます。浮かんでくる考えに、評価をせずに気づき、流していきます。気づけたこと自体が、その一歩です。「何も考えない」ことを目指すものではありません。被害を受けた体験の受け止め方にまで当てはめる話ではありません。

感情との付き合い方

強い感情が湧いたときは、閉じ込めず、追いかけもせず、いま何が起きているかにただ気づくところから始めます。その場ですぐに言い返したり決めたりせず、少し間を置くこともできます。感情は、責める相手でも、消すべきものでもありません。身の危険を感じる場面では、間を置くより、身を守ることを先にします。

やる気が出ない自分や、認められたい、よく見られたいという気持ちを、悪いものとして責めません。どれも、そう感じている自分がいる、と気づくところから扱います。ただし、気分の落ち込みやつらさが続くときや、体調に強い変化があるときは、体と医療を先にします。

日々の足場——書くこと、小さく始めること

その日の一場面を、責めたり悔やんだりせずに、短く言葉にしてみる。つらい、足りないと感じた出来事を一つ書き、その感じ方のもとにある当たり前の基準を、時代や場所や立場を変えて見直してみる。ほかの受け止め方がありうると気づく手がかりになります。出来事そのものは変わらず、扱うのは意味づけだけです。被害を受けた体験を、ほかの受け止め方へ置き換えるための型ではありません。

新しいことを始めるときは、試すことを一つか二つに絞り、最初の動作を小さく決めます。途切れた日があっても、量を戻さず、短く再開すれば足ります。何もしない日を、先に予定に入れておくこともできます。一回の試しは一か月以内に区切り、区切りで、続けるか、変えるか、やめるかを本人が選びます。何を試すかを決めるのも本人です。

行いと、その跡

一つひとつの行い・言葉・思いは、そのときかぎりで消えるのではなく、自分の中に小さな跡を残し、次に同じように行い・語り・思いやすい素地になっていく、という見方があります。確かめられた事実ではなく、そわかの見方のひとつです。

この見方で目を向けるのは、これから何を蒔くか——思うこと、話すこと、行うこと——を、いまここで選べる、という向きだけです。蒔いたあとの実りは、急いで判定しません。確かめるのは本人の言葉で、区切りの日に行います。外から何かを足すのではなく、もとから在る働きが現れやすい条件を、日々の小さな行いで整える道の一つとして眺めます。

使わない向きも、はっきり決めています。

  • 後ろへは使いません。いまの苦しみや出来事を説明するためには使わず、本人に過去の行いを探してもらうこともしません。過去の跡は、次に同じようにしやすい素地の範囲でだけ扱います。
  • 返ってくることを約束しません。差し出せば増える、望みが叶う、とも言いません。返ってこないことや、実りが見えないことを、蒔き方の不足や心がけで説明することもしません。
  • 数では語りません。倍になる、いくつになる、何日で実る、といった量や時間では言いませんし、科学や数式で確からしく見せることもしません。
  • 命や安全に関わるとき、身の危険を感じるときは、この見方より身を守ることを先にします。経済的に困っているとき、体調が悪いとき、被害や喪失、依存の渦中にあるときの本人には、与えることも、感謝することも、許すことも勧めません。被害を我慢し続けることを、与える行いとは呼びません。
  • 人を並べず、本人の行いが周りの人や次の世代の未来を決める、とも言いません。

何を蒔くかを選ぶのは本人です。蒔いた先を、良くなっている印とも、そうでない印とも決めつけません。体調に強い変化が続くときは、この見方より体と医療を先にします。第7章「つらいときは」にも書いています。

確かめられている事実——遺伝子と環境

確かめられた事実エピジェネティクスとは、DNAの配列そのものは変えずに、遺伝子の働き方(体が遺伝子をどう読むか)が変わる仕組みのことです。その一つがDNAメチル化で、DNAに「メチル基」という化学的な目印が付くことで、遺伝子の働きが変わります。こうした変化は、環境や行動に応じて起こることがあり、元に戻ることもあります。

確かめられた事実哺乳類では、生殖細胞がつくられる過程と、受精後の初期の胚で、DNAメチル化の目印の大部分がいったん消されて付け直されます。このため、親が生きた環境で生じたエピジェネティックな変化が、子や孫の世代へそのまま伝わるという主張は、哺乳類では証拠が限られており、議論が続いています。

確かめられた事実遺伝率とは、ある集団の中で、人と人の特徴の違い(ばらつき)のうち、遺伝子の違いで説明できる割合を表す数です。遺伝率が0.7という値でも、その特徴の七割が遺伝で決まるという意味ではありません。遺伝率は、特定の集団と環境についての値で、状況が変われば変わります。遺伝率を推定する方法の一つに、一卵性の双子と二卵性の双子で、特徴の似かたを比べるやり方があります。一卵性の双子はDNAがほぼ同じで、二卵性の双子は平均して半分を共有するためです。

確かめられている事実——脳と知覚

確かめられた事実脳は、学習や経験、けがなどに応じて、神経のつながりや働き方を変える力をもっています(神経可塑性)。かつては幼いころに限られると考えられていましたが、大人になってからも続くことが分かっています。

確かめられた事実「左脳型の人」「右脳型の人」がいるという通説は、1000人を超える人の脳画像を調べた2013年の研究で支持されませんでした。言語など一部の働きは左右どちらかに偏りますが、左右の半球は脳梁という太い神経の束でつながり、情報をやり取りしながら働いています。

確かめられた事実視線をさっと時計へ移した直後、秒針が一瞬止まって見えることがあります(クロノスタシス)。視線を動かしている間の見えない時間を、脳が移した先の像で埋めるために起きると説明されています。

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