第11章 神社とお参り——作法とその意味

鳥居をくぐってから帰るまでの作法と、それぞれに込められてきた意味をまとめます。作法は社によって違い、ここに書くのは広く行われている目安です。形をなぞることより、自分の心を静かに整える時間として役立ててください。神社でのお参りは、願いがかなうことや何かの効き目を約束するものではありません。

神社という場所

日本では昔から、山や岩、大きな木、滝や泉など、自然の中のさまざまなものに神さまを感じて敬ってきました。八百万(やおよろず)の神という言い方は、その広がりを表しています。社殿が建てられる前は、神さまが降りるとされた岩(磐座・いわくら)や、榊などを立てて囲った場(神籬・ひもろぎ)、神さまの宿る山そのものを祀っていました。

神社と森は、もとは一体のものとして扱われてきました。「社」という字を「もり」と読むことがあり、神社を囲む森は鎮守の森と呼ばれます。境内で特に大切にされている木は御神木と呼ばれ、幹に注連縄が張られていることが多くあります。

土地を守る神さまは、産土神(うぶすながみ)・氏神さま・鎮守さまなどと呼ばれてきました。アイヌの人々は、自然の中のさまざまな働きをカムイと呼んで敬ってきました。同じ神さまがいくつもの別名を持つことも珍しくありません。神さまの御霊を分けて、別の社にお祀りすることを分霊(ぶんれい)と言います。

一つの神社には、主にお祀りしている神さま(主祭神)のほかに、ゆかりのある神さまを祀る小さな社(摂社・末社)が境内にあることがあります。遠くの大きな神社の神さまを、自分たちの土地にお迎えして祀ることを勧請(かんじょう)といい、同じ名前の神社が各地にあるのはそのためです。社ごとに、ゆかりの植物や言い伝えから生まれた紋(神紋)を持っています。

神社でお祀りしている神さまそのものと、神さまが降りる座として大切に納められているもの(御神体)は、区別されてきました。本殿の奥はほとんど飾られず、静けさが保たれています。

鳥居から拝殿まで

お参りの作法は、絶対の決まりではなく手引きです。体の形から心を整える、という順で受け取ると無理がありません。全部を一度に覚えなくてかまいません。

鳥居

鳥居は、神さまの場とふだんの場の境を示す門です。くぐる前に軽く一礼し、帰りに出るときも、振り返って本殿の方へ一礼します。足元を見て一礼するひとときは、浮ついた気持ちをいったん置いて、ここから内へ向かう、という切り替えの合図にもなります。帽子は取っておくのが一般的です。

参道

参道の真ん中は神さまの通り道とされ、人は端の方を歩くのが一般的な心得です。話しながら、飲み食いしながら歩かず、玉砂利を踏む音や、風や木々の音に耳を澄ませて歩くと、気持ちが静まっていきやすくなります。混み合う時間を避け、朝早くに訪ねる人もいます。

手水舎(てみずや・ちょうずや)

手水は、昔の人が川や海に入って身を清めた禊(みそぎ)を、手と口だけで行う簡単な形です。手を清めることには、ふるまいと言葉と心を整える、という意味が重ねられてきました。

  1. 柄杓で水をくみ、まず左手に水をかけます。
  2. 次に右手に水をかけます。
  3. もう一度左手に水をかけます。
  4. 手のひらに受けた水で、口をすすぎます。

神門・垣と狛犬

本殿に近づくと、神門や垣(瑞垣・玉垣)があり、内側ほど大切な場とされます。鳥居や拝殿の前には、一対の狛犬(獅子と狛犬)が置かれていることが多く、一方は口を開け、もう一方は口を閉じています。口の形は「阿(あ)」と「吽(うん)」に重ねられてきました。社によっては、狐や牛、鹿など、ゆかりの生き物の像が置かれています。

拝殿でのお参り

拝殿の前で、お賽銭を静かに納め、鈴があれば鳴らします。鈴を鳴らすことは、神職が行うお祓いを簡単にした形とされています。お賽銭は、もとは神前にお米をまいて供えたことに始まると言われ、額の多い少ないより、どんな気持ちで納めるかが大切にされてきました。

  1. 姿勢を正し、深いお辞儀を二回します(二拝)。
  2. 胸の高さで両手を合わせ、右手を少し下にずらして、二回手を打ちます(二拍手)。
  3. 指先をそろえて手を合わせ、心の中で感謝やご挨拶を伝えます。
  4. もう一度、深いお辞儀をします(一拝)。

この二拝二拍手一拝は、いま多くの神社で行われている形ですが、全国でそろえられたのは比較的新しいことです。社によっては、拍手の数などが違う独自の作法を伝えています。決まった唱え言葉はなく、「祓へ給へ 清め給へ 守り給へ 幸へ給へ」という短い言葉が広く使われています。

お願いごとより先に、日ごろの感謝やご挨拶を伝える人も多くいます。お参りを終えたら、境内で少しのあいだ静かに過ごしてから帰る人もいます。

正式参拝(昇殿参拝)と玉串

拝殿の前でのお参り(社頭参拝)とは別に、社殿に上がってお祓いを受ける正式参拝(昇殿参拝)があります。申し込んで玉串料を納めてから昇殿します。

  1. お祓い(修祓)を受けます。
  2. 神職が祝詞を奏上します。
  3. 参列者が玉串を神前に捧げます(玉串奉奠)。

玉串には榊の枝が用いられ、自分のふるまいのすべてを神さまに捧げる心構えを表すものとされます。礼には、軽い会釈から深いお辞儀まで深さの違いがあり、場面に応じて使い分けます。くわしい作法は、その場で神職が案内してくれます。

境内にあるもの

注連縄(しめなわ)
神さまの場と外を分ける結界のしるしです。多くは稲藁で編まれ、穂が出る前の青い稲を使う社もあります。家に飾った注連飾りは、小正月のころの火の行事(どんど焼き・左義長)で焚き上げる地域が多くあります。
紙垂(しで)
注連縄や玉串に付ける、稲妻のような形に折った紙です。
榊(さかき)
神前に供える常緑の木です。神さまの場と人の場の境に立つ木、という意味を重ねる語源の説があります。
燈籠(とうろう)
参道を照らす灯りです。多くは参拝する人が寄進したもので、寄進した人の名や年が刻まれていることがあります。
御神木と鎮守の森
神社を囲む森と、その中で特に大切にされている木です。木の前で足を止め、静かに眺めるだけでも、場を味わう時間になります。
神紋(しんもん)
社ごとの紋章です。ゆかりの植物や言い伝え、関わりの深い家の紋などから生まれています。

お神札・お守り・おみくじ・絵馬

お神札(おふだ)は家の神棚やきれいな高い場所に、お守りは身につけるものとして授かります。数えるときは「一体、二体」と数えます。神棚は東か南に向けて祀るのが一般的とされます。

お神札やお守りは、年に一度ほどを目安に新しくし、古いものは感謝を込めて授かった神社にお返しする習わしがあります。

おみくじは、もとは何かを始める前に神さまの思いをうかがうためのものでした。良い結果が出るまで引き直すことはせず、境内の決められた場所に結ぶか、持ち帰って読み返します。

絵馬は、昔、神さまに生きた馬を献上していたことの代わりに、馬の絵を描いた板を奉納するようになったのが始まりとされます。願いや誓いを書いて奉納しますが、絵馬は、願いがかなうことを約束するものではありません。

神さまへのお供えと直会

神饌(しんせん)
神さまへのお供えです。素材のままの素饌(そせん)と、人の手で調理した熟饌(じゅくせん)があります。最も大切なお供えはお米(稲)とされてきました。
三大供物
神さまへのお供えの代表として、その年の収穫物・果物・幣帛(へいはく・布や紙などの捧げもの)が挙げられてきました。
初穂と初穂料
その年に初めて実った稲穂を神さまに供えるのが初穂です。お米の代わりに納めるお金の表書きを「初穂料」と書くのはこのためです。
御神酒(おみき)
神さまに供えるお酒です。神前に供えている状態を「ごしんしゅ」、直会でいただくものを「おみき」と呼び分けることがあります。いただき方は社によって違うので、その場の案内に従います。
お下がりと直会(なおらい)
神さまに供えたものを下げて、皆で分けていただくことです。神さまと同じものをいただく(神人共食)ことで、つながりを確かめる場とされてきました。祭りのあとの直会は、晴れの日からふだんの暮らしへ直る区切りでもあります。
三三九度
婚礼で、新郎新婦が御神酒を三つの盃で三度ずついただく儀式です。
陰膳(かげぜん)
旅先にいる家族や、亡くなった人のために整えるお膳です。

言葉と祝詞

日本では、言葉に宿る力を言霊(ことだま)と呼び、めでたい言葉で祝うことを言祝ぎ(ことほぎ)と言ってきました。心で思っていることと口にする言葉をそろえること、相手を思い浮かべて言葉を丁寧に選ぶことは、お参りの外でも大切にされてきた心がけです。

祝詞(のりと)は、神さまに向けて読み上げる言葉で、読み上げることを「奏上する」と言います。神さまの言葉を人に伝える形と、人から神さまへ感謝や祈りを申し上げる形の、二つの文体があります。社前で短く唱える略拝詞、鳥居をくぐるときの鳥居之祓、心身のお祓いの祓詞、夏と年の暮れの大祓で読まれる大祓詞などが知られています。全文は、神社で授かる祝詞集などで確かめてください。

神道の心がけ——清く明るく、いまここで

神さまの心のままに生きる道を、惟神(かんながら)の道と呼びます。その心がけとして、清く・明るく・正しく・直く(清明正直)が大切にされてきました。手や口を清める禊や、心身を整えるお祓いは、外の所作を通して内側を整える、という意味が重ねられています。

「中今(なかいま)」は、過去と未来のあいだにある、いまこの時を大切に生きる、という意味で使われる言葉です。古事記の序文にある「稽古照今(けいこしょうこん)」は、昔のことをよく学び、それに照らしていまを見る、という意味です。

山や川、草木や風といった言葉を持たないものが、何かを語りかけてくるように感じる体験を、無情説法(むじょうせっぽう)という言葉で表すことがあります。

お参りは、鳥居を出たあとも、ふだんの暮らしの中で続いていくもの、と考えられてきました。

分かち合いと、自然のたとえ

お金や物がなくてもできる施しとして、無財の七施(むざいのしちせ)という教えが伝えられています。

眼施
やさしいまなざしで人に接すること。
和顔悦色施(わげんえつじきせ)
穏やかな笑顔で接すること。
言辞施(ごんじせ)
思いやりのある言葉をかけること。
身施(しんせ)
体を使って手伝うこと。
心施(しんせ)
心を配り、相手を思うこと。
床座施(しょうざせ)
席や場所を譲ること。
房舎施(ぼうしゃせ)
雨風をしのぐ場所や、休む場所を差し出すこと。

長者が献じたたくさんの灯りより、貧しい人が心を込めて献じた一つの灯りが消えずに残った、という仏教の説話(長者の万灯より貧者の一灯)があります。誰も見ていないところで続けている小さな心づかいを大切にする話として伝えられています。

太陽や川は、相手を選ばずに光や水を届けます。泥の中から清らかな花を咲かせる蓮は、仏教の文化で大切にされてきた花です。山火事に小さな鳥がくちばしで運んだ一滴の水を落とし続けた、という話も、自分にできる一滴を差し出す姿のたとえとして語られています。輪になって座る円座には、上座も下座もない、という意味が込められています。

家の中の神さま

日本の家には、神棚のほかにも、門口や台所、納戸、手洗いなど、家のあちこちに神さまを感じて大切にする習わしがありました。台所には、火の神さま(火之迦具土神・ひのかぐつちのかみ)や三宝荒神(さんぽうこうじん)を祀る地域があり、沖縄や奄美には、かまどの火の神さま(ヒヌカン)を祀る習わしがあります。禅寺の台所には、食べ物を集めて走り回ったと伝えられる韋駄天(いだてん)が祀られています。朝に神棚の水を替えて手を合わせる、食事の前と後に手を合わせる、といった小さな所作が、暮らしの中のお参りになります。

家の一角を片づけて、季節の花を一輪置いたり、静かに座る場所にしたりするのも、同じ心から生まれた工夫です。高価なものは要りません。

喪の間のお参り

身近な人を亡くしたあと、一定の間は神社へのお参りを控える習わし(服忌・ぶっき)があります。一般には、五十日祭のころまでを目安にお参りを控え(忌)、一年祭のころまでを喪に服す期間(服)とし、どうしてもお参りが要るときはお祓いを受けてから、と言われます。ただし期間や扱いは地域や社、家によって違い、しなければならないものではありません。迷うときは、その神社に尋ねてください。悲しみの中にいるときは、作法より、ご自身とご家族の気持ちを先にしてください。

神道の葬儀(神葬祭)では、音を立てずに手を合わせる「しのび手」で拝むことがあります。

ケとハレ

ふだんの暮らしを「ケ(褻)」、祭りや節目の特別な日を「ハレ(晴れ)」と呼びます。民俗学には、ケガレを「ケ(日々を営む力)が枯れた状態」と捉え、祭りや人との交わりといったハレの時間でその力が戻る、と説明する説があります。疲れて力が涸れることは、責められることではありません。この捉え方は、被害を受けた体験を、受け止め方しだいで片づける話ではありません。

苦しい出来事を、無理に前向きに受け止めなくてかまいません。身の危険や被害に関わることは、受け止め方より先に、身を守ることを先にしてください。

LINE で相談する